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かすかな戸惑い 続き

 「パウロ」という本に関するコメントの続きだ。

 さて、ここからが最も気になる事柄で、この本の基本的な理解・姿勢に対するかすかな戸惑いである。以下のことについて、そんなつもりではない、読み込みすぎ、と言われてしまうかもしれない。だとしたら何よりと思うのだけれど、それならば、言葉の使い方においてあまりにも不用心であるとは思うのだ。

 どういうことか。むすびのところに列記されているものが、分かりやすいだろう。そこにはパウロという人物について、様々な側面が指し示されている。その大半は妥当であると思うのだが、疑問符を付けるべきものが含まれている。「パウロは聖書解釈者」というものと、「パウロは偉大な神学者」というものである。パウロの活動を、人間的側面から言えば、確かにこのように言うことはできる。だが、この書の意図は、新約聖書の多くの部分を記したパウロを理解することで、聖書そのものを理解する助けにしようというものだったはずだ。だとすれば、この二つは適切ではない。

 聖書は神の言葉である、ということを信じる立場にあるのだとしたら、聖書の内容はあくまでも神ご自身に基づくのだということを認めているはずである。確かに、それらの書物はパウロが書いた。でも、そこに込められている思想、神学、理解は、パウロによって編み出されたものではないし、パウロだから発見できたものでもない。その書き方、表現に仕方において、パウロ的な特色を持っているにすぎない。だが、聖書解釈者と言ってしまったら、それはあくまでもパウロというフィルターを通して聖書を読み直した、という意味になってしまう。神学者という呼び方も同じだ。歴史上、様々な聖書解釈者がいて、神学者がいる。彼らの業績を高く評価するのは良いことだし、それによって私たちの福音理解が大いに助けられているのは間違いない。でも、彼らの書物は決して聖書にはならないし、神の言葉にはならない。もし、パウロの書いたものを、聖書解釈者の言葉、あるいは神学者の言葉として見ていくのであれば、それは決して神の言葉にはならないし、してはいけないはずだ。

 パウロの行為そのものは、旧約聖書を解釈している面はあるし、福音の理解を体系的に解き明かしているという、いわば神学者としての行為ではある。でも聖書は、パウロの行為のすべてを神の言葉として認めてはいないし、パウロの理解のすべてを聖書として認めてはいない。よく知られているように(この本でも解説されていたように)、コリント教会に向けて書かれた手紙は4つあるわけで、でも、神はそのうちの2つしか、ご自分の言葉として認められなかった。パウロの取り組みは高く評価されているけれど、その中のある部分のみを、神はご自身の言葉として用いておられる。

 この本が提示しているものの中に、パウロの貢献を重視しすぎるあまりだろうか、パウロこそがキリスト教を形成したと言うような部類の考え方に近い雰囲気を感ずるところがある。そういう理解が世間一般にあることは承知している。だが、それはキリスト教的に言えば正しいものではない。歴史にもしもはないけれど、もしもパウロが回心しなかったら、あるいは彼が早い時期に殉教していたら、だとしたら神は、他の人を用いて、ご自身の示す福音を、この世に対して的確に語られたことだろう。その場合、確かに新約聖書は今のようなものではなかったかもしれず、提示の仕方は大きく違っていたかもしれない。でも、人類にとってふさわしい内容は間違いなく届けられていたはずである。まあ、神はパウロを用いるのが最善と考えられたのだから、そういうふうにはならなかっただろうが、でも、決してパウロがすべてではない。

 この本ではパウロの背景や当時の社会状況などをもとにして、彼の書いたものを理解していこうとしている。そのこと自体は有意義なものではあるけれど、でも、彼が抱いた福音理解そのものは、そういった彼自身の背景に影響されたためのものではないはずだ。著述の仕方や表現、あるいは彼自身の行動については、それらの背景の影響を考えることは必要だけれど、彼の信仰そのものについては、そうではない。彼の信仰理解はあくまでも、キリストご自身にこそ由来している。キリストが語られ、キリストが行動されたことこそが、パウロの根幹であって、そこからの逸脱だの、発展形だのは、パウロとしては全く意図していなかったはずだ。今のような形での提示は、確かにパウロの功績は大きい。でも、彼の手紙の記されていることの源泉は、キリストご自身の言動の中に示されているはずだ。もし、その点に否を唱えて、キリストという存在をパウロが意義あるものとして解説し、提唱していったのだというふうに考えるのだとしたら、まあ、誰がどのように考えるのかは自由ではあるけれど、でもそれは、聖書を神の言葉として信じたり、キリストを神の御子として信じている、それこそ聖書そのもの、パウロの書いた言葉そのものの指し示している信仰とは別の種類のものであろうと思う。

 もしかすると、そういった意識の背景には、プロテスタント教会の姿勢が含有している問題性もあるのかもしれない。第1章のまとめで岩上氏は、ルターやカルヴァンの理解したパウロの著作を知るだけでなく、当時の世界との関連の中でパウロの著作を知る必要がある、と語っている。私たちが聖書を読み、信仰を尋ね求めるうえで、宗教改革期に提示されたものに注目するのは有意義なことだ。そういう積み重ねを無視して、自分だけが真実を見いだせるのだと息巻くのは、たいがい、異端の常套手段でもある。ただ、もしもそうやって宗教委改革期の取り組みを重視しすぎているとしたら、それはそれで改めるべきとは思う。私たちは宗教改革の意識を通して聖書を見ようとしているのではない。それらの意識が聖書そのものをよりよく指し示してくれていると認めているから用いているに過ぎない。当然に、その限界の意識する必要がある。だが、聖書そのものについて言えば、パウロっぽい特色とかはあるのだけれど、それが注目されるのはあくまでも、神の言葉としての確かさを知るから、である。どうも、そのあたりが曖昧になっているような気がしてならない。

 岩上氏がどのような考え方をお持ちであるのかは全くわからない。ただ、この本に記されていることだけから言うならば、明確ではないけれども、しかし、漠然とした戸惑いを覚えさせられるのだ。

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コメント

「パウロ」の著者の岩上と申します。緻密な書評をいただき、心から感謝申し上げます。

先生のご指摘を受けながら、これだけ批評してもらえることは本当にありがたいとだと思っています。読んでくださったことを感謝します。

聖書に記されていない部分はあくまでもこれまで出されてきた「パウロ理解」の中から想像力で補うだけですので、様々な理解や多様性があって然りだと思います。先生のご意見にも頷くことができます。ユダヤ人としてのパウロと異邦人の使徒としてのパウロをバランスよく調和して理解することはなかなか難しいと感じています。パウロ研究でもユダヤ人・ユダヤ教徒としてのパウロとヘレニストユダヤ人としてのパウロの間で振り子が揺れているように思います。

拙著の最後のまとめの部分へのご批判もありがたく思います。

パウロは初代教会の中でも神学的、聖書解釈的なイニシアティブをとる立場にあったかもしれませんが、彼がすべてだったと言っているつもりは全くありません。

彼が持っていた聖書解釈や神学的理解は初代教会の中で共有されていたものもたくさんあるからです。彼が唯一の解釈者であり神学者であるというような印象を与えたらなら、あるいはパウロを買いかぶりすぎているような印象を与えたらなら(そこまでの意図はなかったのですが・・・)、少し強調がすぎたのかもしれません。

それでも初代教会全体の中で使徒パウロが果たした役割は重要だったと認識しております。

ありがとうございました。

投稿: 岩上敬人 | 2015/11/02 11:02

まさか、著者ご本人からコメントをいただくとは思いもよらず。ありがたいことです。コメントが付記されていることに気づかず、応答が遅くなり、失礼しました。
人の出す見解は様々あり得ると承知しておりますので(真実は一つであるはずですが、それを完全に見極めることは容易ではありませんから)、例えば私自身の理解するところと異なるものであっても、それが広く提示されることに反対するつもりは全くありません。
ただ、NPP関連のことは、今の日本のキリスト教界においては肯定的な主張が提示されているばかりであるように見受けられて(異なる見解を持つ人々は無視しているだけなのかもしれませんが)、だとすれば、せめて自分なりには意見表明をしておく方がよいかなと、考えております。これは他の事柄についても同様なのですが。
出版されたライト氏の本についても、おもしろかったのですが、はて、と思うところもあり、また、私とは別の見解をコメントされていた方もあり、他のテーマも含め、何にせよ、様々に語られ、問い直されていくということがあるのが何よりと、そんなふうに思っています。

投稿: kei | 2015/11/19 08:36

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