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教会の数

 クリスチャン新聞の今週号付録に、日本の全市町村について「人口/教会数」を色分けして示した地図が添えられていた。

 こういう資料はとてもありがたいもので、眺めながら、なるほどこのあたりには教会が少ないのか、と、馴染みのある地域ほど気になるものだ。ただ、そうして眺めていて、おやっ、と思わせられることがあった。

 市町村ごとの人口/教会数ということは、この地域は足りているとか、まだまだ足りないとか、そういう目安としての意味合いがあるはずだ。コンビニの展開などであれば、そういう数字をもとにして、ここにはもっと出店しようとか判断されるのだと思う。とすれば、日本の教会は都市部に集中していると言われているのだから、都市部の数値は低く、そして地方の農村地帯などは教会数が少ないのだから高く(つまり人口に比して教会が少ない)というふうに出るはずだ。

 だが、実際には様子が違う。確かにそういうふうに出てくる地域もあるけれど、多くの場合はむしろ、人口密集地域と目される都市部と人口が著しく少ないと思われる地域の数値が同じように出てきているのだ。色分けしてある地図を見ると、その様子は一目瞭然だ。そして、数値が低い、つまりは教会がまずまず足りしているだろうと目される色合いが多く出るのは、北海道の大半と、あとは人口が圧倒的に少ないと思われる山間部となっている。でもこれは、日本の各地における教会の必要性という観点からすると、おかしな話であると思う。(沖縄は狭い面積の中で人口比の教会数が結構多いと言われており、この地図でも順当にまずまずというふうに表示されているのだが、これは例外である。)

 数値そのものはごくごく正確なものであるはずで、この地図自体がおかしいわけではない。考えるべきと思うのはもともとの考え方、つまり、人口に対する教会数という考え方なのだと思う。

 日本の場合、クリスチャン人口は絶対的に少ないので、クリスチャンが多いのに教会が足りなくて対応できない、という減少はまず見られない。残念ながらそれは現実だ。コンビニならば、昼時に行列ができるという事態もあり得るだろうが、礼拝に来たのに一杯で入れない、という話はごく限られた場合だ。とすれば、教会の数的に必要というものは、人口比の問題ではなくてむしろ、その地域に教会があるかどうか、という話なのだと思う。もっと単純化して言えば、自宅からどのくらいの距離で教会に行けるか、という話である。地方での病院の必要性の話は、これと似通っているかもしれない。

 その点から考えると、都市部、とりわけ首都圏などにおいては、教会はまずまず必要なだけある。一方で地方においては教会は圧倒的に足りない。都内、二十三区内あたりで言ったら、しばらく歩いていれば、どこかの教会には行き着く。山手線の一駅分は必要がない。でも、地方では車で遠くまで出掛けていかないと教会には行き当たらない、という場合がいくらでもある。日本の教会の場合は、既存のクリスチャンへの対応だけではなく、これからキリスト教に触れるであろう人々への対応という観点がとても大きいわけだが、とすれば、人々の身近に教会があることは必須であろうと思う。聞いたことのない方を呼び求めることはできないのだから。

 むろん、人口の少ない地域に教会を設けていくことは容易ではない。そのことは承知している。財政的にも難しさがあるし、お金の問題だけでなく、教会は人によってこそ成り立つものだから、一人、二人しかいない状況で教会という看板だけ掲げてみても、それは十分に機能するわけではない。たとえ牧師を派遣したとしても、それだけでは伝道拠点とは言えても、教会としての最低限の資質を備えていくのは容易ではない。だから、この話が簡単なこと出ないのは分かっている。ただ、教会の必要性はどうなのか、という観点から話をするのであれば、人口比よりもむしろ面積比の必要性のほうが重要なのではないかと、そう思うのだ。

 都市部の、それなりに教会数があるところは、それぞれの教会が大きくなれば人口比の対応は十分にできる。その点も、街の中にたくさんの教会が並んでいる位のほうが良いという別の論はあるのだけれど、その話は別の機会に書くとして、ともかく、人々の必要に応えるという点から言えば、今あるだけの教会数があれば何とかなる。会堂が狭くなったら大きくするか、あるいは、複数の礼拝をするなども可能だ。礼拝に出たい人が物理的な理由から妨げられるという事態はいくらでも回避できる。でも、近くに教会がないという事態はもっと深刻な課題であるはずだと思う。

 この類の統計はこれまでもずっと人口比という形で提示されてきたのだと思う。将来、日本のクリスチャンが数割に達した時には、それもまた必要なのだとは思う。でも今現在の状況からするとむしろ、一定の面積に対する教会数という情報のほうが必要なのではないか。その場合は市町村単位ではなく、ある程度の面積はまとめて扱った方が良さそうだ。隣町でも十分に近いということはありえるのだから。より綿密にやるならば、各教会から半径何キロとか設定して、その中で他の教会に接するかどうか、という調査がなされたら、より有効かもしれない。かなり面倒な話になるけれど、もしかするとパソコンで処理したらあり得るかもしれない。そういうソフトを開発すれば、だろうが。せめて、都道府県単位で、それぞれの面積と教会数との比率くらいならば容易だろうと思うので、こういう統計をまとめる際には、ぜひ、そのような情報も加味してもらえたらと思う。そしてまた、それぞれの地域における教会の必要性という話をする際には、この面積的な観点をも加えてくださると良いのにと、そのように思っている。

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コメント

「人口/教会数」の地図は見ていませんん、やはり、そういう分布図というか統計図は、あくまでも目安にしかなりませんよね。たとえば、私が開拓を始めたA県は、四回連続人口減少率日本最大です。このような地に開拓は必要なのかと人間的には考えました。また、開拓の拠点は、市内にすでに5つの教会堂が置かれている地です。大きくもない市に5つもあるのに6つめが必要なのかと考えました。けれども、導きというものを感じたわけです。人口比から言えば開拓は必要ない。面積的な観点から言っても開拓は必要でない。教会の数から言っても開拓は必要でない。でも開拓を始めました。先ず、人は少なくても、一人の価値は無限に大きいので、人の少ない地であっても教会は必要であるということ。次に、県や市町村の境というものは国や行政が決めたものにすぎず(もちろん神の摂理というものがあるでしょうけど)、この市に一つ、この町に二つという見方にこだわりすぎてはならないといういうこと(特に今は車社会ですから)。三つ目に、教会にカウントされている教会が、すべて神の目に認められているのかということ。え~っ、うっそ~と思う教えを説く教会は色々あります。そう思えば、人口とか面積とか地域の境とか教会の数とかで、ではどこに教会が必要なのかを判断するというのは、余りに単純すぎると思うのです。神がどこに教会が足りないと思っているかということについては、多角的な見方が必要でしょう。な~んで、偉そうなことを言ってすみません。とにかく、面積的な観点が判断材料に加えられるべきだということには同意します。

投稿: 斎藤和彦 | 2016/03/23 20:49

 ええ、その通りで、より踏み込んだ意味での必要性ということで言えば、おそらく統計では推し量れないものがあるのだとは思います。でもまあ、そこはそれぞれの教会とか、人々がちゃんと思いを巡らし、祈りつつなさっているように思えるわけで、斎藤先生のように取り組んで行かれる方々が備えられている。だから、もう少し一般的、統計的な視点での話としては、人数比よりも面積を意識した方がいい、と私はそういうふうに思っている次第です。

投稿: kei | 2016/03/29 18:21

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