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イスラムとの対比から

 井筒俊彦「イスラーム文化」を手がかりに、その特性とされるものを利用させていただきつつ、キリスト教の信仰について、あれこれ考えてみようと思う。

 それで、井筒氏が示しているイスラムの特性から、私が気になった点をいくつかを拾い上げてみる。もっとも、こちらの、つまりキリスト教信仰として興味、関心を抱いたものに限定するので、イスラムそのものについてちゃんと考えてみたい方は、この本自体をお読みくださる方がよい。井筒氏の指摘は幅広くなされつつも、的を絞り込んでくれているので、なかなか分かりやすい。で、気になった事柄を列挙してみる。

1)イスラムは砂漠の遊牧民的発想に基づくのではなく、当時の商業大都市に暮らしていた人々の感覚に深い関わりのあるものだ。
2)一口にイスラムと言っても、ムハンマドが当初メッカで活動していた時の考え方と、メジナに移ってからのものとでは大きく様子が違っている。前者は厳しい時代だったから抑圧されている側としての感覚が強く、来世意識が多く出ているが、後者は後に大帝国を築いていくことにもつながるもっと積極的なもので、現世への観念が強い。
3)イスラムは、コーランの存在、つまり、神が人に対して何かを語り告げているところが出発点になっているという教えである。啓示の存在こそが鍵、ということになる。だから、キリスト教やユダヤ教に対しては一定程度の評価を与えることになる。
4)イスラムの根幹は、アッラーの絶対性にある。そこが全ての始まりで、信仰の全体を貫いている。その神への帰依こそがこの信仰の特性となる。
5)アッラーは、生ける神、人格的に関わってくる神であって、哲学的な思想とか観念ではない。
6)イスラムには聖俗二元論は存在しない。この世の一切がアッラーの手の中にあり、人々もそのつもりで生きるのだ。だからこそ、イスラム法のように生活そのものに深く関わる定めも形成された。
7)コーランか剣か、という言い方は誤解があり、イスラムの本来的なあり方は、むしろ他宗教の信者が存在することを肯定しており、改宗を求める場合にも、力ではなく論理と説得によって、というものである。

 というようなことを、井筒氏はイスラムの特徴、そして彼が魅力と考える事柄を語っていた。イスラムのことを考えるのは、かつてキリスト教世界とされていた地域・民族がすっかりイスラムになってしまっている歴史を鑑みるとき、なぜそのようなことが起こりえたのかを、よくよく見定めておく必要があると考えるからだ。

 なお、イスラム自体の理解においては、もともとの理念とは大きく異なったシーア派の考え方もあり、とりわけそれは、すでに完結しているとされてきたコーランを越える教えが提示されることを肯定する、大きな変化が見られるのだそうで、そのあたりもキリスト教の中での議論と重ね合わせて考えてみたい思いもあるのだが、とりあえずは上記の7つにしておこう。今回は、書き溜めて一気に、ではないので、間を置きながら載せていくつもりだ。
(つづく)

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