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憲法

 様々に言われているけれど、今の憲法、悪くないと思っている。

 むろん、法律なんて何でもそうだが、不具合がゼロというわけではないだろう。新たな問題意識など、時代の変化に対応できていないものもあって不思議はない。でも、誰かが新聞に書いていたけれど、この憲法は法律を定めることで対処できる部類のものが大半で、それで十分に事足りている。むろん、それらの法律にしても、憲法全体の理念に沿っている必要があるのは言うまでもないことだが。日本国憲法は、全てのことについて明記しているわけではないという性質を持っているから、そこに込められている理念をちゃんと受け止めれば、その流れに沿った法律は十分に形成可能、であるわけだ。
 逆に、そういった理念でも対応できないような改変は、つまりは今の憲法が持っている社会のあり方を否定しようというものだから、まずもって承伏はできないと私は思う。それとも、改憲を志している人たちは、今の社会のあり方そのものを悪いと考えているのか。
 世界史的には、かつて、様々な立場の人たちが、現状の社会制度の基本的な概念そのものを否定し、改変を志したこともあった。つまり革命である。一般にフランス革命などは民主主義の理念から評価されることも多いが、でも、現実としては言えば、理念的には評価され得たとしても、その実態は実に凄惨なもので、フランス社会を大きく疲弊させるものだったことはよく知られている。革命とはそういうものである。現行憲法の根本的な概念に否を問うための改憲を主張する人々は、それはつまり、革命を起こすべきだと言っているのと変わりがないことを、社会に対して明確に語るべきだろうと、私は思う。
 だから、首相が語ったという、自衛隊の存在と高等教育の無償化についての文言を追加するという形での改憲、という話は、ずいぶんと奇妙な話だ。
 高等教育無償化のことから言えば、確かに26条には義務教育の無償化が明記されているのみで、義務教育以外については言及されていない。だが、この規定は決して、高等教育での無償化を否定するものではないし、まさか、それは憲法違反だなどという議論はあり得ない(そういう議論をしている学者がいるとしたら、無意味だと思う)。もともと、こういうふうに国民に利益をもたらす部類の取り組みは、何も憲法に書いていなくてもいくらでも行うことはできるわけだし(そんな例はいくらでもある)、あえて憲法に根拠を求めたいのであれば、1項の理念に基づけば、十分に適合する。もし、この点を憲法に明記されていなければしてはいけない、という議論を始めてしまったら、今、国が行っている事柄の中で取りやめざるを得なくなってしまうものは膨大なものになってしまう。法律のあり方としても、このような案は危険きわまりないはずだ。
 もっとも、無償化というのには、義務教育の場合にも見られることだが、教育内容に対する国の介入が大きくなることを意味するわけで、はたしてそれが望ましいのかどうかは疑問もある。むしろ、給付制の奨学金をたくさん出すという形のほうが良いのではないか、という議論もあってしかるべきと思う。
 自衛隊のほうについても、この提案はかなりの問題があるはずだ。というのは、こうやって改憲をする必要があるのだとしたら、それはつまり、現状の自衛隊は違憲なのだと、首相自らが認めてしまっているということになる。現状でも問題はないのだけれど念のために書いておこう、程度のことのために憲法を変える必要などは全くない。あえて変える必要があるのだとしたら、それは変えないと存続できないから、という意味にしかなり得ない。本気でそんなことを考えているとは思えないが、だとすれば、全く無意味な案だと私は思う。
 個人的には、自衛隊が違憲だとは思っていない。そのあたりについては前にも書いたことがあるが、9条の意味するところは、ようするに、外交的な対立を武力で解決はしない、ということなのだから、身を守るための取り組みそのものが否定されると理解する必要性はない。現状の自衛隊は、現行憲法に抵触するという論には、私は賛同はしない。だからこそなおさら、今回の提案は無意味、いや、自衛隊の現状に関しても有害なものだと、私には思える。
 というように、今の憲法を変えなくても、また、無茶な解釈改憲などしなくても、その理念に基づいて対応するだけで、十分に事足りるだろうと、私は思っている。とすれば、今のままで良いではないか、と考えるのだ。自主憲法かどうかなどは、単なる法律論か感情論の話である。それは法律というものの本来のあり方、つまり社会にとって何が必要かという本質論ではない。感情論や精神論を法律などの制度に盛り込むことについては、私は賛同しない。
 それは宗教的なことについてもであり、キリスト教にしろ、他の宗教にしろ、それを国が公認などはするべきではない。活動の自由を確保しておくだけで十分である。その意味では、現状の宗教法人法などは、おおよそ健全だと私は思う。恣意的な動きはしないのが一番、である。クリスチャンとしては、たとえこの国がキリスト教を国教化しようなどという話になった場合にも、だれよりもクリスチャンたち自身こそが断固反対すべき、と、私は思っている。教会が堕落するかとか、そういう意味だけではなくて、国のあり方、制度のあり方そのものにとって、似つかわしくない事柄だから、である。
 話はずれたけれど、現行憲法は、今のものを保持しつつ、その理念に沿って個別の法律で対処するのが一番だろうと、私は思う。

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