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伝道者の書

 今、水曜祈祷会では伝道者の書が読まれている。

 伝道師が担当してくれているのだが、参加メンバーが遠慮のない面々で、提示された解説を材料にして、ああでもない、こうでもないと、けっこう議論になっている。メッセージと言ってしまうと、語られたことを前提としてまずは聞く、というふうになるのだろうが、聖書研究会ならば、語った者も、聞いた者も、一緒に考えて、御言葉を尋ね求めていくというふうになっても良さそうなもの。と意識しているわけではないけれど、そんな感じの毎回である。
 で、なかなかに良い機会を手にしていると思う。伝道者の書、何度も読んではいるけれど、でも、他の人が解説してくれるのを聞いていると、それがきっかけになって様々に疑問も出てきて、はたしてこの書は何を語るために提示されたものなのだろうかと、真剣に考え込んでいるところだ。既存の注解書の解説が、何だかちょっと違うようにも思えるし、幸い、文明の利器の発達によって、てもとのスマホでも原語を確認できたりもするので、はてさて、と話は深まるばかり。最初に伝道師が提示してくれた理解の仕方からは大きく離れてしまうことも少なくないけれど、めげずに立ち向かってきてくれているので、この幸いな機会はまだまだ広がりそうな予感である。牧師をしていると、語る側であることがほとんどで、単発では聞く側に回ることもあるけれど、継続しての取り組みは発信側。そういう意味でも、ありがたいひとときになっている。
 それにしても、こうもあれこれ考えさせられると、いずれ、終わりまで行ったら、自分なりに、ちゃんと文章にまとめておかないともったいない、とは思っているところ。

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