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より深刻なことでは

 総理に関する混迷が報じられているけれど、当初の話よりも、事態はずっと深刻な様相になってきたと思う。

 森友にしても、加計にしても、当初の話はようするに、総理が自らの権力を用いて関係するところに便宜をはかったのではないか、ということだったと思う。もちろん、それは適切なことではない。関係する所である限りは、具体的に賄賂があったかどうかは、実は大きな問題ではない。ようするに、仲間に特別な恩恵を与えたということなのだから。
 とは言え、このあたりまでは、まだありそうな話であって、国によってはそういうのが当たり前になされているところもあるだろうし、日本でも、例えばお金などが動く収賄はさほど珍しいことではない。放置するわけにはいかず、適切に処罰されるべきだけれど、社会自体の深刻な課題というほどのことではない。

 でも、総理は一連のことを否定しているので、となると、話はもっと深刻である。本来、最も社会的な妥当性を見出し得るのは、それぞれの案件について総理が社会的に有意義であると判断したので推進した、という場合だったはずだ。その場合は、堂々とそのように言えばいい。お友だちだからといって差し控えるのは社会的な損失だと確信しているのであれば、そしてまた、他の教育機関よりも優先すべき明確な理由があるのであれば、である。そこから先は、それでもお友だちはだめだという声が大きいか、それとも納得する声が大きいか、の選択の問題である。
 もっとも、総理はすでに森友については全面否定するような評価を下しているので、多少でも応援するような言動があったとすれば、その時点ですでに失政とされるべきだろうが。あの場合は、どんな理由があるとしても、夫人が名誉校長になっていたわけで、それは明らかに応援していたということでしかなく、さもなければ、夫人の判断と総理の判断は全く別物だと説明する必要があり、このあたりで話の筋は通らなくなっているのではあるが。
 しかし、事態が問われ始めてからの総理の対応によれば、上記のような可能性はないようだ。それゆえに、自体ははるかに深刻なものになっていると思う。

 森友に関して言えば、夫人付きの秘書官は、本人には何の相談もなく、勝手に森友のために便宜をはかるような行動をとったということでる。しかるべき立場の人が問い合わせをするというのは、当然にそういう意味を持つのであって、議員が様々なところで動くのはよくあることだ。それ自体の是非は内容次第なのだが、今回の問題は、本人の意向とは何の関係もなく、ということになっている点だ。それは明らかに立場と権限からして逸脱行為である。総理夫人の秘書官になったので、自分が偉くなったような錯覚に陥ったのだと指摘すべき事態になるだろう。当然に官僚としての処分が必要になる。
 財務省の側も、である。費用面で便宜をはかったのは明らかになってきているわけで、そうすべき正当な理由があるのであればそれを提示すべきだし、だが、その後、理事長は詐欺などで逮捕されているのだから、たとえその時点での判断には何らの意向が働いていなかったとしても、その判断は明らかに間違いだったということになり、とすれば、担当者は処分を免れない。国の中枢を担っている人々がそんなに簡単にだまされてしまうのかと、唖然とさせられるが、それが真実であるのならば、この国の官僚機構は激しく能力を減退させていると指摘されても仕方がない。私は、この社会の仕組みにおいては適切な官僚機構は有意義だと考えるので、この事態は日本の社会にとって深刻な事態だと考える。
 あるいは、総理側は何も言っていないのに、財務省側が勝手に忖度して行動したのだとすれば、それもまた重大なことだ。総理からの指示に従ったのであれば、不適切ではあるけれども、間違った人物を権力の座につけてしまったというだけの話で済むが(前例のないことではない)、何も言われていないのに、さらに言えば、総理側の意向に反して忖度したのであれば、これはとてつもなく重大なことだ。

 加計についても、最近の報道によれば、学園側は総理とはこの件について話をしていないのに、勝手に総理の名前を出して、県などの担当者に話をしたということになっている。これはとても重大なことであり、総理が自分の友人のために便宜をはかった場合よりも、ずっと深刻だ。つまりはこの学園は、ありもしない総理の支持をねつ造して、県などとの協議に利用したということである。県などが激怒するのは当然であり、認可取り消しの事態になったとしても不思議ではない話だ。総理の名前は、明らかに他の要件よりもずっと効力がある。それが嘘だとしたら、土台からして崩れ去る話になってしまう。もし、交渉の途中でこの事態(勝手に総理の名前を持ちだしたこと)が発覚していたら、間違いなく県などは支持をとりやめたことだろう。
 だいたいにおいて、総理の名前を勝手に使って、それで放置できるはずがない。ためしに、どこかの、総理とは何の関係もないところが、総理も承知している案件だといって、どこかとの商売を画策してみたらいい。詐欺罪に問われるか、あるいは、国家の統治において重大な問題だと告発されるだろう。信頼していた友人の学園に裏切られた総理がどう考えるのかは個人的な問題だろうが、公明正大な信頼できる学園だ、というような評価は取り下げざるを得ないはずである。

 それらと合わせて、財務省などが資料に提示に関してなしてきた対応は、どうしようもなくひどい。これが総理の指示から始まったもので、必要だと思ったからやったのであって、突っ込まれると面倒だからごましてしまえ、という判断からのものであるならば、まだしもである。それは担当者を処分すれば済むだろう。でも、総理は何も指示していないのに、勝手に忖度し、かつ、それをあり得ないような方法でごまかそうとしたのだとすれば、いったい何を隠すためのごまかしだったのかを明確にすべきだろう。国会答弁が虚偽だったと認めたわけだが、であれば、なぜ、を問わねばならない。少なくとも担当者たちがごまかしをすることで自らにとって何らかの利益が生ずることはないはずだ。総理が全く関与しておらず、忖度もなかったのだとしたら、残される可能性は、森友からそれぞれの担当者に賄賂が提供されていた、というくらいのものしか思い浮かばない。だとしたら、断固として調査し、処罰すべき案件である。

 この点は防衛省もであって、日報問題で、次々と出てきているのは、ようするに、大臣の指示は何も効果を発揮していない、ということである。他の省庁ではトップの意向に従わないという可能性はありえるけれども、防衛省においてはそれは問題だ。上官の命令に従わない軍事的組織は、決して勝てない。役に立たない。文民統制の問題でもあるけれど、自衛隊としての本質的な強固さの有無が問われるべき事態になってしまっている。

 というように、一連の事柄は、総理が関与していない場合のほうが、日本の政治機構としてはより深刻な事態と言うべきだ。そして、行政機構の責任者である総理は、この事態の打開について、必死で取り組むべき責任がある。それは、自分は関与していない、ということを立証できるかどうかよりも、はるかに重大な責務であるはずだ。もし、一切の関与はないのだと言えるのだとしたら、あるいはそのことを明示したいのであれば、こういう場合にはそれこそ断固たる処置をして、勝手な振る舞いをした官僚を厳しく処罰するというのが、ごく自然な行動だ。なぜ、総理はそれをしないのだろうか。できない裏の理由があるのだとしたら総理として不適格であるし、したくないのだとしたら総理としての資質を欠いている。

 野党は、これを機に総理を退任させたいのだろうが、実はこのことは、現総理がやめるかどうか以上に深刻な事態になっていることを考えるならば、やめさせることだけに集中していないで、断固たる処置を強く要求すべきだと思う。

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