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ウォルトン氏のこと

 ウォルトン氏の著作が話題になっている。

 その内容についてはまだこれから読むつもりなので、何も言える段階ではないけれど、クリスチャン新聞に講演が抄録されていたのは読んだ。その中で一点、気になったことがあったので、書き留めておく。ウォルトン氏がそのあたりについてどのような認識を持っているのかは、この抄録だけではわからないので、著作から探ってみるつもりだが。

 ウォルトン氏によれば、秩序の欠落は悪であるのだそうだ。そして、創世記1章などに記されている「創造」という言葉は、秩序の形成を意味するのだと言う。うーむ、そうすると、悪に満ちていた世界に対して神は介入し、善であるものに転換させた、ということになる。ところが、人間の罪の問題があって、世界は再び悪に転じてしまったのだ、と。それで神は再び、善を回復させようとして取り組んでこられたのだ、ということになるのだろう。

 この説明では疑問が生じる。まず、おおもとになる悪の状態は、いったいどこから出てきたのか、である。同時に、神という存在は何者か、でもある。後から介入してきたのであれば、救世主としては位置づけられるだろうが、でも、全能の神とか、すべての支配者である方、というふうに言えるのかどうか、疑問が生ずる。

 ちなみに、無秩序というものを悪などではなくて、単なる現象として語るのであれば、まだしもこれらの点での論理は成立する。ただしその場合は、創造という言葉を秩序立てるという意味合いで用いるのは無理がある。あの言葉が用いられる時に、聖書ではやはり、善なるものが生み出されるという意味合いは存在するのであって、だからこそウォルトン氏もまた、悪である無秩序を善である秩序に転換させた業としての「創造」を語っているのだろうが。

 次に、上の論理からすると、神は二度も失敗した、ということになる。ずいぶんとなさり方の下手な神、という、何とも失礼な言い方だけれど、そういうことになってしまう。あいにく、創世記にはそういう論調はなく、神が最初の段階ですでに後悔している様子もないので、とすると、ご自分の対面を保つために言葉を濁した、というふうに受け止められてしまう可能性が出てくる。世の中のうんちく本ならいざ知らず、キリスト教信仰者としては、ちょっと受け入れられない話だ。

 聖書の語るところを素直に読むならば、神が造られた善なるものが(どうやって造ったのかの議論は横に置くとしても)、それは十二分に秩序にあるものであったわけだが、それが人の罪によって悪に陥り、無秩序が生じたという話の流れであるはずだ。ウォルトン氏の論理の全体像はまだ何も把握できていないけれど、講演で語られたと記されている内容では、悪である無秩序が先にあるという話であったので、そこには大きな混乱があるように思えた。

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