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カジノのこと

 日本にカジノができるのかどうか。

 それにしても、政府がここまで強く押し進める理由が、どうもよく分からない。もともとからしてが何をどのように言い換えようとも、つまりはギャンブルである。そして、法律は明確に賭博を禁じている。だとすれば、あえて例外にすべき重要な理由があればこその話であって、この類の提案は、基本路線としては反対、廃案が当然であって、審議の中でどうしても必要だという、他に代えられない理由があった場合にのみ例外的に認めるのが、ごくごく当然の論理のはずだ。

 そう考えると、ギャンブル依存症に対するケアがどれだけあるか、というような話に終始していたように見える国会の論戦は、元々からしておかしい。問われるべきはそこではないはずだ。あえて言うならば、原則をねじ曲げてまで認めようとするのであれば、それに伴って様々な弊害が生じたとしても、それでもなお必要、という話であるべきで、依存症の手当をしているからやってもいい、という話ではない。提案者は、依存症の人がどれほど増えようとも必須なのだという論戦を張るべきで、それができないのであれば、この案は妥当性がない。

 では、それだけの必要性があるのかどうか。成長戦略の一つとして掲げられているようだから、つまりは経済的理由から、ということなのだろう。カジノを開業させることで生じる経済効果、と。ごく常識的に考えるならば、海外からの観光客を誘致できる、というケースが挙げられるだろう。まさか、日本国内の人々から金を巻き上げて、それで経済効果、などとは言うまいと思うが。でも、カジノができたらどれだけの観光客が増加するのか、詳しい試算があるのかどうか、あいにくちゃんと見てはいないのだけれど、でも、率直な所、疑問がある。アジアで言えば、それこそマカオなどもあるわけで、わざわざ日本にと思うかどうか。羽田か成田、あるいは新宿にでも造るつもりならまだしも、地方のどこかに設置したとしても、そこまで出かけていくなど、ごく限られたものだろう。それらの地方都市の観光客が倍増しても、いや数倍になったとしても、それが日本全体の経済に及ぼす効果などたかがしれている。東京や大阪などの観光客が倍増すれば、いくらかは効果があるかもしれないが、そっちの場合には、宿泊その他の許容量が足りるとは思えない。

 だいたい、観光客程度で経済成長が可能になるほど、日本の経済規模は小さくはない。影響があるほどの観光客が押し寄せるとしたら、それこそ、働き手が圧倒的に不足し、海外からの労働力を全面的に導入せねばなるまい。でも、そっちの関心は低いのだから、早晩、人手不足で頓挫するのは目に見えている。いやいや、もともと開設場所も制限しているわけだから、そんな数カ所程度では、なおさら効果は期待できない。

 だいたい、経済的理由から賭博の例外を認めるというのは、話が見えない。もし、そうなのだとしたら、刑法自体を変えて、賭博禁止を撤廃すればよいと考えるほうが妥当だ。賭博行為によってお金が動くのは昔から知られていたはずだが、それでも制限し、あるいは禁止してきたほどに、事の弊害は大きかったわけである。いや、お金は動くけれども、真の経済効果にはなり得ないと、すでに日本の社会は気づいていたと言うべきか。刑法が賭博を禁じていることの意味合いを考慮しないのは、ただの蒙昧でしかあるまい。

 経済効果のためならば、ということであれば、もっと別の制限を外した方が、効果ははるかに大きいだろう。以下に挙げるのは、決して賛同しているわけではないのだが、でも、経済効果のためなら何をしてもいい、のだとしたら、はるかに弊害は少ない。例えば談合は大いに認めたら、企業の利益は上がるだろう。税負担からすると問題はあるが、世の中の治安には影響はないだろうから、お金の問題とすればまだましである。政治家の賄賂も、本来的にはあるべきではないけれど、でも、それで企業が裏情報などを手にして発展するならば、庶民にとってはまだましである。ほかには、とあれこれ考えるのも愚かしいのでやめておくが、弊害の度合いからすればまだまし、のものはいくらでもあるはずだ。なぜそれらはだめで、賭博は良いのか、について、提案側は明確に語る責任があったはずだ。

 倫理道徳的な話を持ち出すつもりはない。それは人によって前提が異なる。でも、カジノによる社会的不安要素を確実に越えられるだけの経済的理由、あるいはその他の理由が明確に示されない限りは、くだらない案でしかあるまいと思うし、その点を議論しなかったのだとしたら、野党も含めて、国会は意味をなしていない。

 ちなみに、倫理道徳の面を言うならば、カジノは良いものだと言うつもりならば、提案者は、そして政府は、開設時にはそれこそ首相が率先して入り浸り、制限ぎりぎりまで通い詰め、大枚はたいて遊興に明け暮れるべきだろう。あるいは自らの家族の中から、若者たちに通わせるべきだろう。そうやって、これは良いものだと、問題などないのだと提示してみせるのでなければ、妥当性など嘘偽りでしかない。まさか、自分は好きではないから通わないけれど、他の人ならばどうなっても本人の自由だ、などという愚かな論理を持ち出したりはしないだろうが。

 時間的に十分かどうか以前に、国会での論議は、根本的にこの事態の意味合いを取り違えている、と思う。まあ、カジノが本当にできるかどうかは、かなり疑問だとは思う。商売として成り立たなければ誰も乗り出してはこないだろうし、現地の反対運動などもあるだろうし、そういうものすべてを突破してまでやろうとするだけの利益になるかどうかは疑問だ。法律は通っても、経済的理由は二の足を踏むとか、やってみたけれどすぐに撤退とか、そういう事態のほうが、はるかに想像しやすい。

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