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オープンキャンパス

 先日、息子につきあって、大学のオープンキャンパスに行ってきた。

 1年生なので、進路そのもの、まだまだどうなることやらだが、夏休みの宿題で2校は行くように、レポートを書くように、ということになっていたので、訳もわからず、という感じだ。まあ、大学ってこういうものか、という何となくの印象でを持つのも悪くはないというあたりが高校側の意図なのだろうが。
 それにしても、大学側が熱心に、また懇切丁寧に取り組んでいるのだなということには、ちょっと感慨深いものがあった。少子化の影響で学校の存続も真剣な話とは聞いているが、人集めということでも、それから、良き学生を迎えたいという意味でも、頑張っている様子がよく伝わってきた。良き学生と言っても、偏差値の善し悪しということではない。その点は試験で判別できるだろうが、むしろ、学習意欲とか、吸収していく思いがあるのかどうかとか、言い換えれば育て甲斐のある学生を、ということのように見えた。
 私が受験した頃は、もともとオープンキャンパスなんてものはなかったし、事前に行ってみるとしても、せいぜい、試験当日に迷わないように、遅刻しないために、というくらいの理由だったと思う。私も、一番遠い学校だけは行ってみたけれど(そこが本命でもあったが)、授業料値上げ反対の学生運動があるとかで、関係者以外は立ち入り禁止、門の前まで行っただけ、だったと記憶している。今より学校数は少なかったけれど、大学に進む人もずっと少なくて、でも、必死になって引っ張っているという印象は少なかった。
 そう言えば、入った後で教授が授業の合間に、「もっと前には授業料をただにして学生を集めようとしていたものだけれど、君たちはそういう感じではないので残念だったね」というような話をしていた記憶があるので、あの頃は学校自体が、来たければ試験を突破して来ればいい、その気のないやつは願い下げ、という感覚だったのだろう。時代は変わるものである。
 もっとも、大学に限らず、歓迎するために手を変え品を変え、というのが一般的になっている社会だから、そういう感覚はちゃんと意識しておいた方が良いのかもしれない。教会の場合は、オープンなんたらをしてもあまり意味はないと思うけれど(いつだって見学歓迎、礼拝に来てみて、途中でお帰りになっても構わない、他の人の迷惑にならないように静かに退席していただければOKである)、また、結局の所、語っていること、提供していることは今も昔も変わりはしないのだけれども、だとすればなおさら、触れてもらえるようにという意味合いでは、間口を広げていことについては、よく心を傾けねばとは思っている。
 「いのちのことば」という冊子に、大先輩の牧師が聖書の翻訳について、聖書の中身そのものは決してなじみ深いものではなく難しいのだからこそ、文面についてはできるだけ馴染みやすく、読みやすいようにするべきだ、という趣旨のことを書いておられた。確かに、神の呼びかけは人の常識的感覚とは離れていることは多々あるわけで、そこはごまかしたり、薄めたりはできるはずもない。だとすれば、日本語としての読みやすさとか、そういう部分では必死になって取り組んでいくべきと考えるのは、とても納得がいく。日頃のあり方もまた、と考えさせられた一文だった。
 オープンキャンパスでは学食のお試し券が提供されていて、久しぶりに学食というものを味わったけれど、ふと、母校の学食を思い出した。母校は、当時、周辺に何もない山の中だったこともあって、4階建てのビル一つが丸々学食で、多彩な店が入っていた。その後、中身はさらに進化したとも聞いている。何かの機会があれば、いつかまた、訪ねてみたいものだ。そう言えば、あの頃は植樹されて間もなかった桜の林が、そうとうすごいものになっているのだという話も聞いたような。

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