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創世記1章の再発見より 4

 機能的の話の展開として、7日目の安息に関して、おそらく目新しいと思われる説が語られている。

 その内容自体は面白いもので、神の支配や統治についての理解を深め、いわゆる理神論に陥ることへの強い反論として語られているのは、力強い語り口調であるようにも思った。安息は休息ではなく、むしろ活動的に充足していくこと、というような意味合いだろうか。もっとも、ウォルトン氏がほとんど顧みていない休息の意味合いも、この世界にとって、また人類にとっては重要な要素であり、それもまた聖書の語る大きな意味合いであることを思うと、この取り上げ方には偏りがあるようには思う。

 だが、注目すべきはその先にある。安息からの発展と言うべきか、あるいは、こちらが先に指し示されている概念と言うべきか、この本では神殿という概念が大きく用いられている。中心的なテーマと言っても良さそうである。だが、その扱いについては疑問がある。

 まず、神殿の概念を持ちだした根拠として提示されているものは、おおよそ、古代中東の世界観に依拠するものであって、聖書自体が出発点とは言えないことがある。ウォルトン氏が示している聖書だけの根拠によってだけでは、神殿の概念こそがこの世界に関する神のイメージなのだと主張するにはあまりにも乏しい。

 むしろ、聖書自体で言えば、創世記には神殿の概念は皆無のはずだ。モーセ五書全体で言っても、そこで提示された律法においては、会見の幕屋は存在するが、神殿は存在していない。メソポタミアでは確かに、そういう概念があるのだろうということは理解できる。それがあの地域の中で広く存在していた概念であるのかもしれない。だとしたら、聖書は、創世記は、むしろそういう神殿の概念を意図的に排除しているのだと見るほうが自然ではないか。ウォルトン氏が取り上げている聖書の中での神殿の概念は全て後代のものであり、五書の中のものではない。

 律法をそのまま受け止めるならば、神を礼拝する場所は「神殿」ではなく、「会見の幕屋」である。その違いは大事なことであり、ダビデが神殿を作りたいと言ったときにも、神はそれこそが本来の姿というような受け止め方はしておられなかった。必要性そのものについても積極的な応答にはなっていない。彼らが神殿の話を持ち出さず、そのまま会見の幕屋で礼拝を続けたとしても、神は全く何も語られはしなかっただろう。その後の歴史から神殿が重視されていったけれど、会見の幕屋を神殿にしてしまったことの是非(許容はされているが)については真剣に考えるべき、との説もある。イエスご自身も、神殿を重視することへの警鐘を鳴らしておられた。黙示録は神殿のイメージもあるけれど、それはむしろ会見の幕屋に近いものへと戻っていると言うべきではないか。ウォルトン氏は、神殿は神の居場所だと言っている。だがソロモンは建設時の祈りで、神殿は神のための場所ではなく、人々が神に祈るための場所だと言っている。あの祈りの内容と、この書に記されている神殿の意味合いとは全く別のものになっている。メソポタミアでは常識でも、聖書では非常識、それがメソポタミア的神殿の概念なのだと思う。だから、創世記の理解に神殿の概念を持ち出すのは、かなり無理があると、私は思う。

 それに、創世記1章以降のイスラエル自身が、神殿の概念を受け継いでいる様子は見当たらない。アブラハムたちにはその様子は皆無であるし、固定化した建物自体が全く意図されていない。神殿建設は、カナンに定住した後、周辺諸民族の神殿にも影響されつつ、我々も是非と考えたのが発端であると考えたほうが適している。別段、そういう影響が悪いわけではない。神はそういうものを用いつつ、良きものへと転嫁させていくことを得意にされている。でも、そこに至るまでのイスラエルには、神殿の概念は見当たらない。神が示していたのに彼らが受け取らなかった、という説明は可能だが、だとすれば神は、目の前の者たちにも伝わらず、後の人々には全く理解できない概念を用いてご自分の御心を告げようとなったということになってしまう。それはずいぶん不思議ななさり方だ。もっと自然な受け止め方をすべきではないか。

 ウォルトン氏が提唱する機能的意味合いへの注目そのものは、この書にある神殿の概念を排除したとしても何ら問題はない。さらに言えば、物理的意味合いへの感覚を排除する必要性もない。無理な理論であるように、私には思える。
(続く)

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