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創世記1章の再発見より 1

 話題になって購入したが、しばらく本棚に置き去り、ようやくである。

 著者のウォルトン氏の土台は、古代中東文化との比較から導き出されることは何か、ということにあるようだ。頻繁にそういった知識が紹介されている。聖書が書き記されたのは、確かに古代中東文化にある地域においてであり、イスラエルもまた、その影響の中にあるのは間違いのないことだから、このような比較をすることは有意義なことであるとは思う。

 もっとも、そういった古代中東の文化と、聖書が伝えている神の啓示とは、決して同一ではないということは、聖書は神の言葉と信じる者たち(ここでは幅広い意味で考えてもらってかまわないが)にとっては重要な視点のはずだ。古代中東の人々が考えていたことと、神の告げたこととには大きな乖離がある、聖書自体の告げている内容を見るときには明らかなことだろう。もし、古代中東文化に多少の独自の色づけをした程度のものだったとしたら、そんなものは早晩消え去ったはずだし、いや、それはつまり、神は単に人間たちの文化をなぞっているだけの存在、ということになってしまう。だから、比較は重要だけれど、古代中東文化を前提にして聖書を読むことは、聖書自体の本質を放棄することになってしまう。この書は様々な部分で、古代中東文化の特質を前提として、それを根拠として、聖書の読み方を提唱している。それらの情報は参考にすべきものとしては興味深くはあるけれど、やり方には疑問が残る。

 ついでに言えば、ウォルトン氏は古代中東文化ということで、メソポタミアとエジプトを一緒にして扱っているようだが、どうなのだろう。私はそのあたりは十分に理解していないけれど、両者には確かに共通性はあるだろうが、でも、大きな隔たりというものがあるように認識していたのだが。メソポタミアとエジプトは文字が根本的に違う。文字の違いというものは、その文明のものの考え方の違いを表すものの一つだと思う。この違いと、それぞれからの影響の度合い、そして、その混合によって何が生み出されていったのか、というあたりこそ、専門家にはぜひ期待したい。それには聖書ではなく、カナン周辺の他の諸文明に対する両文明からの影響の度合いを分析するのがちょうど良さそうだ。そうすれば、神ご自身の啓示という意味合いを横に置いた場合の、人間の領域だけに限定した場合の影響の度合いは見出されるはずだ。でも、あいにくこの書では、そのあたりの分析がなされた上での説であるというような様子は、うかがい知ることができないように思う。

 ヘブル語という言葉の存在自体も、彼らの認識が周辺諸民族と交流をしつつも独自であったことを指し示す一つの証拠と言えそうだ。形状からすればメソポタミアに類するのだろうが、歴史的、地理的にはエジプトのほうがはるかに近い。類似性という視点は有用で、あの地域の他の文字との比較はなされることで、意味不明とされてきた文字の解明も進んでいるのだとは聞いている。それでも彼らは地域で使用されていたアラム語ではなく、ヘブル語という、一つの民族しか使わない言語を成り立たせてきた。それは単に宗教が違うというだけでは済むまい。ものの考え方自体の違いがあってこそのはずだ。後のことを考えると、地中海世界全般にギリシャ語が広がったけれど、結果、似たような世界観は広がった。逆に、ラテン語を使う世界とギリシャ語を使う世界とが、政治、経済的には一緒だったにもかかわらず、異なった世界観に生きていたことは、ローマの歴史やキリスト教の歴史においても見出されることだ。そういったことを考えると、同じ地域にあるのだから同じ世界観、と簡単に位置づけてしまうのには懸念がある。

 ウォルトン氏の提唱するように、古代の世界観で聖書を読むべき、とするのであれば、ここはあえて、周辺文明の世界観のことはいったん忘れて、聖書のみから見出される世界観を探り求め直し、その上での提示をすべきだと思う。その結果が、この本に出ているような世界観に合致するのであれば、大いに説得力があるけれど、この書は古代中東文化に基づいて見出した世界観を聖書にも当てはめて、それが適合し得るというふうに告げているに過ぎないと思う。

 という話から書き始めてしまったが、簡潔に述べて終わりにしようかと思っていたけれど、いろいろ書き留めたいことが出てきたので、何回かに分けて考えることにする。
(続く)

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