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懇談会

 近隣のキリスト教主義高校で、教会と学校の懇談会があった。

 年に一度開催されていて、余裕があれば参加することにしている。毎年、年に一度の礼拝出席宿題で、そこの生徒たちがたくさん来ているので、あちらの様子も拝見しておいたほうが良いだろう、という思いでもある。
 講演は、今年は聖書協会が12月に発行する新しい翻訳の聖書に関連して、これまでの日本での聖書翻訳の歴史とその意味合い、課題など、それから、これから出るものの特色などについて、なかなか興味深い解説がなされていた。その講師は、懇談会のほうにも顔を出していて、キリスト教主義の学校のあり方について、あるいは教会との連携などについても関心を持っている人なのだなあ、と、なかなか好印象だった。
 懇談のほうは、生徒たちに何とかキリスト教について知ってもらいたい、接点をと願っている宗教部の人たちの切なる願いと、でも、もちろん、強制するものでもないから、そのあたりの難しさの中での葛藤なども感じられたし、昔から関わってきていた牧師たちからは、そのあたりも含めた愛情と苦言とが提示されているのを聞いて、その苦闘の尊さを思わせられた。
 様々な話は出ていたけれど、一つ、なるほどと思ったことがある。公立の学校などで、何かで悩んでいる生徒がいても、教師が「それなら教会に行ってみたら」と薦めるのはなかなか難しいだろうと思う。だが、キリスト教主義と標榜し、礼拝もあり、宿題としての教会訪問・礼拝参加もありという学校なら、堂々と彼らに対して言える。「教会に行って、礼拝に出てみたら、きっと何か答えが見つかると思うよ」と。
 それは大きなことだ。そんなふうに正面切って言える場所など、世の中に滅多にない。キリスト教主義とは言いつつも、必ずしもそんなにその精神だけで学校を運営できるわけではないと言われているけれども、でも、今のようなことならば、いくらでもできる。その意義はとても大きなことだと、そこにいた牧師たち、大いにうなずいていたものである。見方によっては、その程度で満足しているわけには、ということもあるかもしれないが、でも、こういうことがちゃんと言えるか、言えないかは、とても大きな環境の違いだと、そう思う。
 朝9時過ぎからの会合で、月曜なのに、なかなかに疲れるものではあるけれど、良き会合だったと思っている。

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