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届けたい

 あれやこれやと、結構ものを書いている。

 多すぎて読み切れないと言う教会の人たちもいるけれど、全部読むようにと要求しているつもりはないので、自分にちょうど良い程度に手にとってもらえれば、それで十分だ。週報に、月報に、それからこういうブログとか、機会を見つけては差し出し続けている。

 説教に集中して、伝えるべきことはそこで提示すれば良い、という考え方もある。意味のある見解だと思っているし、礼拝説教そのものは最重要と考えて取り組んでいるつもりだ。ただ、礼拝は週に一度しかない。毎日やるという手もあるが、おいでになれる人はそうはいない。礼拝だって、100%で出席できるとは限らない。体調を崩すことはあるし、用事ができることもある。旅に出ていて、そこで見つけた教会の礼拝に出ることもあるだろう。それはそれで良いのだけれど、一つの日曜日に礼拝の場においでになれなければ、2週間空くことになる。年に52回しか日曜日はないのに、である。そうしたら、伝える機会が減ってしまう。

 人々の暮らし方は多様になって、それを一つに統一することなど、できるはずもないし、すべきとも思わない。でも、神様に関わることで伝えるべきものはたくさんある。だったら、いろんな機会、いろんな媒体を用いるしかない。それに、昔は礼拝説教も短くても1時間、時には2時間とか話をしていたものだけれど、今時、そんなに長い話を聞き続けるのは厳しい。2時間分の話の内容があるなら、30分ずつ4回に分けた方が、よく伝わる。

 そういう物理的な意味合いからも、いろんなパターンで届けていくしかあるまいと、そう思っている。だから、礼拝に来られなかった方には、週報を送ったりする。教会堂には来られなくても、週報を手がかりに神様と向き合う事柄を届けられればと願うから。わざわざ送ってくれなくてもと遠慮する人も多いのだけれど、私にとってはそれは、日曜ごとに礼拝で話をするのは大変だろうから、そんなに頑張らなくても大丈夫です、と言われるのと同じような感覚。切手代も馬鹿にならないから、と言う人もあるので、最近はメールを多用している。

 一人の牧師が活動できる期間は、まあ40年くらいだろう。でも、その中で届けられる分量は聖書全体の豊かさに比べたら、決して多いとは思わない。むろん、この信仰のすべてを知らなければだめ、ということではないけれど、牧師としては少しでも多くのことを届けたいと思うから、だったら、いろんな素材を活用して提供し続けるしかないと思っている。決して全部読めと強要するつもりはないので、全くないので、必要に応じて受け止めて行ってくれればと、そう願っている。

 明日も礼拝の日。皆さんが守られて共に集うことができるように、伝える側としても、ちゃんと届けることができるように、そう願うところだ。

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