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「キリスト教と戦争」

 石川明人氏による著作。中公新書。一通り読んでみたので感想を書く。

 新聞の書評で取り上げられていたので買い求めたと記憶している。基本となっている問題意識は、キリスト教は愛の宗教と言われているのに、なぜ戦争を肯定しているのか、ということのようだ。著者自身の認識がどのあたりにあるのかは不明だが、日本の社会一般の感覚にとっては、こういう問題提起が関心を呼びやすいのは分かるようにも思う。だからこそ書評でも取り上げられたのだろうが。

 取り上げられている出来事や事実関係、人々の認識などについては、おおよそ妥当で的確なものだろうと、私には思われる。また、上記の疑問に戸惑いを覚え、首をかしげているような書き方も、好感が持てるものだ。宗教的なことに否定的だったり、揶揄的だったりするものも多々見られる中で、むしろ素朴に尊重し、だからこそ疑問を覚えているという書き方も、すんなりと読めるものだった。

 ただ、その上で私として思うこととしては、石川氏の戸惑いは、日本の人々には共感を覚えられるかもしれないが、世界的にははたしてどうか、何か奇妙な思い込みをしているように受け止められるのではないか、と考えさせられる。確かに日本のクリスチャンたちの間では、戦争などあり得ない、という概念が、戦後から最近までは大多数を占めていたと思う。だが、この本の中では戸惑いとして書き記されているけれど、世界のキリスト教の流れとしては、戦争に対して疑問を抱くクリスチャンはごく例外的なはずだ。むろん好んで戦おうとはしないとしても、必要であれば戦うことを否定的に考える動きは、滅多に見られないものであり続けたのが現実だ。著者としては、それが不思議で仕方がないのかもしれないが、現実は現実である。

 だから、ここに見られる問題意識は、日本においては通用するとしても、キリスト教2000年の大多数にとっては、もともとからして存在し得ないものなのだろうと、私は思う。とは言っても、それなら戦争が当たり前で良い、と考えているわけではない。聖書の指し示す所に基づけば、やはり、戦争は肯定できないもののはずで、それを当然視してきたキリスト教の流れ自体が問題を抱えているのだと、私はそのように思う。

 だが、このように一言で述べたとしても、それは何の意味もない。もしそれが聖書の真の告げている所であるのなら、そのことを明確に立証し、説明し、説得していかねばならない。これまでも幾人かの人々はそういう取り組みをしてきたように思うが、現状を考えると、決して十分ではなかったのだと考えざるを得ないだろう。私自身も、できればその課題に向き合ってみたいとは願い続けているけれど、それだけの余裕もなく、これぞという糸口を見出している訳でもない。

 でも、この何十年か、日本のクリスチャンたちは確かに、世界の大多数のクリスチャンたちとは戦争に関して異なる認識を抱いてきた。それはクリスチャンだからということではなくて、日本に暮らすほとんどの人々に共通する思いであったのかもしれないが。そういう土壌を持つ日本のクリスチャンたちは、世界に対して、真剣にそのことを問い掛ける役割を担っているのだと、私はそう思っている。決して簡単ではなく、何より、自らが抱いてきたこれまでの感覚がはたして聖書的な根拠があるのかどうかそのものから検証せねばならないのだけれども、それができる感覚的土台を与えられている者たちとして、それは一つの大切な使命だと、私は思っている。

 ということが、キリスト教と戦争という話題において、真に問われるべきことであるのだと、私は考えている。この書が話題になっていたので、あるいはそういう切り口を示してくれているのではないかと期待したのだが、あいにく、最初に述べたように、もっと一般的な、日本において一般的な感覚からの話であったようである。そういう本としては分かりやすいし、妥当な姿勢に基づいて書かれていると思うが、真に問うべきは、もっと別の所にあるのではと、私はそのように思った。

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