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痛み

 歯医者で治療を受けている時、ちょっと逡巡することがある。

 痛みの問題だ。歯を削ったり、神経の治療をするのだから、それなりの痛みはある。ごく当たり前のことだ。でも、大の大人が、痛い、などと言うのは格好が悪い、激痛ならば別だけれど、我慢できるくらいならじっと耐えていた方がいいのでは、などと思ったりするわけだ。

 以前通っていた歯医者では、そんな気苦労を回避できるようにということか、さっさと麻酔を使っていた。が、今の歯医者は、あまり麻酔は使わずに済ませたいということのようで、いよいよとなるまではそのまま進めていこうとする。医学的にどうなのかは分からないけれど、こちら側としては、痛みがあるかもしれないと予測していながら麻酔は使わずにいるのだから、これは大人の威厳にかけて我慢しましょう、ということなのかなと考えたりする。

 でも、最近は別の見方をしている。痛みがある時は、さっさと告げた方がいい。きっと医者はそれを合図にしながら治療を進めているので、何も感じていないのか(不快感は別として)、それとも少し痛みが出ているのかによって、微妙な調整をしようとしているのではないか、それなら情報は大いに提供した方がよいのだろう、ということだ。まあ、ちゃんと尋ねたわけではなくて、勝手に推測しているだけだが。なので、痛みの信号を感じたときには、それとなく指し示すようにしている。それとなく、というのはつまり、まだまだ余裕はありますけれど一応伝えておきますね、という、格好つけであるのだけれども。

 そんなふうにするのには、歯医者さんに対する信頼があるから、でもある。どの程度の痛みになるのか分かっていて、その微妙なあたりを対処しようとしているのだと、そう信頼しているから、こちらも微妙なところの本人の感覚を伝えておこうと考える。もし、その腕を信頼していなかったら、さっさと痛みを叫ぶか、さもなければ最後まで我慢するか、いやいや、元々からして別の歯医者に行くことにするだろうが。

 神との関係も似ているかもしれないと、そう思う。時に、つらいことや痛いことに遭遇することもある。そういうものが皆無であったら、それが何よりと思うのだが、現実はそうではない。神がこの瞬間に世界から嫌なものをすべて消去させない理由は、そこの話は長くなるからさておき、ともかく、神は分かっていて、それでなお、今の状態にしておられるのだと信頼している。で、粗相であればこそなおさら、冷静に、穏やかに、でもちゃんと神に対して、自分の思いを語り、つらさを語り、痛みを語り、今はこんな感じですと語るのが打倒だ。ただ騒ぐだけ、痛みなど言語道断と騒ぐだけだとしたら、それは神を信頼していないことだけれど、反対に、じっと我慢というのもまた、神を信頼していない、神の手にも余ることだから祈っても仕方がないと、そういうふうにしていることになるのでは。

 だったら、ちゃんと訴えるのが一番だ。まあ、そこでも格好を付けて、まだまだ余裕ですが、今のうちに伝えておきますね、痛いんですよ、つらいんですよ、と、そんな感じになっているかもしれないけれど、まあその格好付けは笑いの要素、でも、ちゃんと正直に訴える方がいい。すぐに解消するか、しばらくは辛抱が必要かは、それぞれに違っているではあるけれども。痛みなんて決して望まないが、でも、人が健全に歩むためには必要なものではあることを、ちゃんと考えておきたいものだ。

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