牧師の老後

 家を買おうと決めた理由の一つは、老後のことである。独身の頃は(前にも書いたように、とても長く、独身で牧師をしていた)、そんなことは何も考えていなかった。自分一人、どうとでもなる、というくらいの感覚だった。考えようによっては、今でもそれは同じで、子どもは巣立っていくとして、夫婦ふたりくらい、どんなところに住んだとしても、それはまあ、かまいはしない。

 が、教会としては、そうもいかないだろう、と思った。まさか、牧師が年老いて引退したとき、あとは勝手にやってください、と放り出すことはあり得ないだろう。でも、現実問題としては、そこで老後の住まいを確保できるような退職金を出せるはずもなく、まして、月々に、何らかの給付をすることは、まず不可能だ。そのような余裕があるのならば、むしろ、若い伝道師でも招いて、教会の働きを拡大した方がいい。ということは、自分で何とかするしかない。しかも、牧師たちの多くは、年金だってたいしたことはない。賃貸が悪いわけではないが、月々の家賃は重くのしかかってくることになる。結局は、子どもと一緒に住むという選択肢を、どうしても選ばざるをえなくなる。それが悪いことではないが、それしかない、というのは、やはり子どもたちにとっても適当とは思えない。

 それならば、可能なうちに、自分の家を取得した方が、まだしもではないか。今のように、賃貸の家賃程度でも何とかなる時代であれば、それでともかくも住まいが確保できれば、ずいぶんと話が違ってくる。今回、私がマンションではなく一戸建てを選んだのも、そういったことが関連する。マンションは、どうしても月々の管理費だの、そういう決まった支出が必要となる。一戸建てには補修の費用がかかるかもしれないが、いざとなれば、素人作業で住む程度でも、まあ、我々がこの世を去るまでだったら、住めないことはない。

 そう考えてみると、牧師が自分で家を取得することは、教会にとっても悪くないことだと思われた。教会だって、そのような形であれば、もともと、賃貸形態で牧師館を提供する場合でも、同等の費用はかかるのだから、はるかに容易というものだ。むろん、前に書いたように、転任とか、いろいろと面倒が生ずる場合もあるが、今現在、与えられているものをできるだけ有効活用して、その上で、あとはそれに固執しないで過ごすつもりになれば・・・。これはまあ、自分自身に対して、ちゃんとわきまえておくようにと、言い聞かせているのでもある。

 そんなこんなで、ともかく、どんなものがあるのか、調べてみよう、ということにした・・・。
(つづく)

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牧師と家

 家を持つことに意識が向かなかった理由の一つは、自分が牧師であるため、だろうと思う。経済的な面は、まあそれは、誰でも同じことであって、さしたる話ではない。それよりも、牧師というものが、本来的に、自分の意図に基づいて働きの場を選択するのではなく、あくまでも、神様の指し示す場で、ということが関わってくる。そして、そういった指し示しに応じていくことができるためには、できるだけ身軽でいた方がよい、と、これは昔からよく言われてきたことだと思う。たしかに、あまり物の部分で、あれこれとまとわりつきすぎて、それで身動きが取れなくなってしまったら、本来、大切にしなければならないことがおろそかになってしまうのかもしれない。

 とはいえ、別の面からすれば、ちゃんとその地域に根を張って、そこに仕えていくことを考えるのならば、可能であれば家くらいは持つ方がよいとも言える。さもなければ、一時的な人に過ぎない、という印象は拭えなくなる。地方の場合には、このことは重要な意味合いを持つことになり、それもあって、積極的に、持ち家を提唱する先輩牧師もいる。団体によっては、定期的な異動が予測されているところもあるが、私たちのところは、そうではないので、とすれば、ちゃんと足場を固めることも意義がある。

 そのあたりのことについては、今回、私ら夫婦も、考えさせられた。で、結論としては、動くことになったらなったで、それで良いではないか、ということにした。今、住宅を手に入れることがそれなりに可能であり、諸事情が許すのであれば、きちんと定着した形での住まいを持つことは意義がある。その上で、もしも異動することがあるとしたら(今のところ、全く考えていないし、働きの展望としては、定年までここで牧師をすることを前提として、いろいろなことを考えて動かしてはいるのだが。念のため。)、その時はその時。売却してもいいし、あるいは、賃貸に出しておいて、老後にここに戻ってきてもいい。実際、この場所は、気候的にはなかなか過ごしやすいのだから、老人が過ごすのにはいいと思う。いずれの場合でも、経済面ではマイナスもあるかもしれないが、でもまあ、それならそれでいい。だから賃貸で続けるのと(それはそれで悪いことではないのだが)、リスクも念頭にして自宅を持つのと、どちらを選んでもかまわないのだけれど、私たちとしては後者で行こう。そう、決意したので、行動を起こすことにした次第。老後の話が出たけれど、これは結構大事な話であると、途中で気づいた・・・。
(つづく)

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考えていなかった

 率直に言えば、家を買うことなど、全く考えていなかった。自分の家を持つことを想像すらしていなかったというのが本音である。私は結婚が遅かったので、ずいぶんと長く、独身で牧師をしていた。その間、同じアパートに住み続け、それはトイレこそあるものの風呂はない、小さな部屋だった。銭湯まで早足なら1分という便利さもあって、そのことを別段不自由には感じなかったし、一人で暮らすのに狭さを覚えることもなかった。まあ、結婚でもすればもう少し広い部屋に移らねばとまでは想像していたが、自分の持ち物として建物を入手することは、意識になかった。別の世界の話、というのが正直な感覚だった。

 結婚して、むろん、もっとましな部屋に移った。今度は3DKだったから、広さは数倍になった。家賃は・・・、おおよそ倍になったのだと思う。でも、妻が今まで暮らしていたアパートの家賃と合わせて考えると、まあ、出費そのものとしては増えはしない、と認識していた。今後どうなるのかは全くわからなかったが、家族構成その他、変化があればまた、別のところを借りればいい、というくらいにしか考えていなかった。あのマンションは、なかなか住み心地の良いところだった。

 思いがけず、教会を替わり、まあ、転勤のようなものだが、で、そのマンションでは動きにくくなって、今のアパートに引っ越してきた。建物自体は、それまでよりも小さくなり、使い勝手は下がったが、ちょうど子どもができたところで、妻が育児休暇に入ることは確実だったから、収入も少なくなるし、とも考えていた。結果的には、環境も、同じアパートの人たちにも、そして、子どもがお世話になっている保育所などの関係でも、なかなか良い場所であった。とは言え、ここに一生住み続けるというところまで熟慮して選んだわけではなく、必要に応じて、また移ればいい、と思っていた。もっとも、それまで15年ほど、同じ場所にいた私としては、早いサイクルでの引っ越しは、ちょっと不思議な感覚であったが。

 息子が生まれ、その成長を見ている中で、もう少し、使いやすい住まいが必要だなあ、と、妻とは話し始めていた。10年単位で住めるような家を探して、借り直そうか、という感覚だった。相変わらず、家を買うことは全く想定していなかったのは、今にして思うと、奇妙ではある。不動産価格の下落は、もうすでに長い傾向になっていたし、都心にマンションが建ち、利率も下がったことにより、家賃程度で家が買える、という話はずいぶん聞いていた。教会の若い世代が、次々と家を持ち始めていたのも見ていたし、いい判断だと一緒に喜んでいたものだ。が、自分が買うことになるとは、全く考えていなかった。  (つづく)

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家を買う話・始まり

 実は今、家を手に入れようとしている。だいぶ具体的になってきているので、これは書き留めておこうと思い立ち、新しいカテゴリとして組み込むことにした。少し、時間をさかのぼって、最初のところから少しずつ、書いてみようと思う。

 私にとって、自分の持ち家というものに住む経験は、実は今まで一度もない。子どもの頃は、父の転勤にも伴い、あちこちを転々としていたし、基本的に、世間的にいえば「社宅」と呼べるようなところに住み続けていた(正確には、牧師館と呼ばれるところだったが。もっとも、その形態は様々であった。たぶん、後でまた詳しく書くと思う)。後に父たちは、教会のすぐ裏に、自分の持ち物として中古のマンションを購入したが、それは私が大学を卒業して、家から離れた時だったので、私自身はそのマンションに「住んだ」ことはない。休みなどに帰っては来たけれど、その場所に住民票を置いた経験はなく、自分の家という意識はなかった(親の家である)。

 だから、こうして家を買うというのは、これが順調に実現すれば、私にとっては生涯初めての経験、借家ではなくて自分の家に住む、という何とも不思議な状況へと足を踏み入れることになる。もっとも、自分自身でも、まさかこういうことに踏み込んでいく日が来るとは、全く考えていなかったのだが・・・。  (つづく)

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